己の機嫌によって他者への態度を変える人がいる。
そうした人との関係は、まるで嵐の中にいるようだ。
不機嫌という風が吹けば、ささいなことでも怒りの波が立ち、避けようとしても巻き込まれてしまう。
そんな荒波の中で相手の顔色を伺いながら付き合うのは、実に疲労を伴うものだ。
多くの人がこのような関係に辟易し、「優しさ」や「穏やかさ」という安らぎを求めるのは無理もないことだろう。
僕もそういった価値観に概ね賛同する者の一人だ。
しかし、だからといって「決して怒らない人」が「良い人」と言えるだろうか?
もちろん苛立ちを理由に無関係な人にまでその怒りをぶつけるのは非難されるべき行為だ。
物に当たることなどもってのほかである。
だが、もし苛立ちの源が相手の言動にあるのであれば。
それを伝えることは必ずしも悪ではない。
もちろん、その伝え方が問題である場合もあるだろうが。
もし常にどんな場面でも「怒らない」ことが「優しさ」や「穏やかさ」とするならば、僕はそれを受け入れない。
無礼や非常識に対しては、毅然とした態度を貫きたい。
僕は「怒るべき時には怒る人」でありたいと願うのだ。
ゆえに僕は「優しさ」や「穏やかさ」をことさらアピールするつもりはない。
だからこそむしろあえて逆に、僕の怒りが爆発する瞬間を教えてやる!
「リッターがヤグラに乗ってくれない時」
これはスプラトゥーン3というゲームの話だ。
多くの人には馴染みがないかもしれないが、スプラプレイヤーの中には今これを読んで激しく共感し頷いている者もいることだろう。
スプラトゥーンは、水鉄砲やローラー、バケツなど個性豊かなブキを使ってインクで地面を塗り合いながら戦う4対4のオンラインシューティングゲームである。
いくつかのルールがあるが、僕が好んでプレイする「ガチヤグラ」は、ステージ中央にあるヤグラを相手陣地のゴールまで運ぶというルールで、シンプルながら奥深い戦略性が要求される。
ヤグラは一人でも乗っていれば自動的にゴールに向かって進むが、当然敵チームはそれを阻止しようとする。
そのため射程の長いブキがヤグラに乗り、射程の短いブキは前線に出て敵を抑えるのがセオリーとなっている。
そしてリッターはゲーム内で最も射程が長いスナイパーライフルのようなブキであるため、その役割はヤグラに乗ることに他ならない。
しかし頑なにヤグラに乗らないリッターが多いのだ。
敵を倒し前線を押し上げて数的優位を築いているにもかかわらず、リッターが安全な場所に引き籠っているせいでヤグラが進まない。
このような状況に直面すると、僕は内なる叫びを抑えきれなくなるのだ。
キエェ~!ってなる。
僕は塩対応などしたことがないし、これからもそうするつもりはない。
しかしもし貴女が自らのデス数ばかりを気にして、安全圏から動こうとしない「ヤグラに乗らないリッター使い」だとしたら。
その時初めて僕は塩対応をするかもしれない。
僕は「怒るべき時には怒る人」でありたいのだ。
お願いだからどうか早くヤグラに乗って?
スプラをしている時以外の僕は、基本的には温厚だよ。
たぶんね。