みなさまこんばんは
生きること おつかれさまです
岡山萬天堂の葉と申します
余白
AI概要をみてみると、
物理的に空間が空いていること
心理的な余裕
物事を深く考えるための時間を持つこと
というような事が書かれています。
余白って、いろいろな考え方があって、いろいろな認識や解釈の仕方があると思います。その余裕具合が余白の良さ。
というわけで今日は余白の捉え方としてこんなふうに考えているよってことを少し書いてみようと思います。
以前、写メ日記で解像度の話をしました。
物事を見る時や何かを考える時に解像度を高く思考することで対象に対してより深く知る事ができるんじゃない?
というような内容だったかと思います。
余白というのは、個人的にはその対象を深く掘り下げることとは違って、もう少し広く余裕をもってみる、自分なりの解釈をもつ、というイメージでしょうか。
生活の中での余白で言えば、例えば時間に余裕を持つとか、物を持ち過ぎないとか、そういうことを生活の『余白』と捉えて、生きやすい形を自分なりに解釈し実行することなのかなぁと思っています。
ここからは個人的趣味の余白の捉え方です。
みなさまもアートや小説、音楽やTVなどに触れるときに余白をとらえる事ができたら、より世界の情報が面白いものになるのではないでしょうか?
いきます。(長いよ)
□現代アート
昔、埼玉県立美術館だったか現代アートの企画展に行った時。現代アートって見たことある人はわかると思うのですが、まじで意味わからん作品が多いんです。
絵画とかはまだわかりやすいけど、現代アートって制限がないから本当アーティストの裁量で表現されるわけです。
そんな時に、その行った展覧会でみた説明文で、芸術作品の見方は自由である。作家の意図もあるがそれはそれとして、見る人が何を感じてどう思うかが大切だ。という事が書いてあったのを覚えています。
その時に作品の見方ってそんな感じでいいのかー!ってハードルが下がったというか、すごく身近に感じやすくなったのがそのことを知れてよかったと今でも思ってる出来事です。これがきっかけで作品に対して自分なりの解釈を持つことに繋がったのはよかったかなぁ。
この作品の答えはこれ!じゃなくて
こういう見方もできるやん。
とか
俺はこう感じるけど、君はそう感じたのね、
みたいなね。
□森本千絵さん
アートディレクターの森本千絵さんをご存知でしょうか?人は知らなくても作品は知ってる人かなり多いと思います。あれ!これ森本千絵さんなんだ!ってあるある。
松任谷由美
ミスチル
髭男
niko and…
サントリー
etc…
アルバムのジャケットとか、CMとかアートワークを手掛けてる人です。
で、その森本千絵さんの作品集を読んでた時に、余白のあるデザインをしたい、みたいなことが書いてありました。見る人の想像力を掻き立てるというか、写真一枚でいろんなストーリーを連想できるというか、さっきの現代アートと同じ、これが答えです!バーン!どやぁ!
じゃなくって、受け手が自由に解釈できる懐の広いデザインをみせてくれるようなそんな作品を創る森本千絵さんが好きです。これが余白の表現なんだなぁと。
□小説でも余白
これも当然、文字が書いてあるところと白紙のところの余白…って意味じゃなくて、ストーリーにおける余白があるものが僕は好きです。
悪く言えば伏線回収せずに終わる物語とかね。
村上春樹とかでよくありますが、え?結局あれどうなったの?とか、んぁぁ!?なんかすっきりしない!みたいなのもある種の余白だと思うわけです。
だから考察とか、あとからいろいろ議論されるようになるのもその懐の広さ、余白ゆえの展開なのかな、とかね。勝手に想像でこうだったらおもろいとか、こうなんだろうなぁって作っちゃってもいいよね。
『余白』
僕はこの言葉がすごくすきです。
ゆったりしていて、余裕があって、穏やかで、そんなほんわりした印象を与えてくれるからです。
『余白のある人』に少しでも近づけたらいいなぁ
おしまい
