「君は考えすぎなんだよ」
上司のその声は、空調と同じ温度で流れていく。
でも僕は知っていた。
考えすぎるからこそ、
細部が未来を決めることを。
資料を整え、心を読んで、
感情の地雷を回避する。
同僚たちが笑って走るなか、
僕は歩く速度で、風の流れを読んでいた。
それは、武器だった。
けれどこの街では、評価されることはない。
そんな僕に、ある日、同じ部署のツンデレ女子が言った。
「ねえ、今度の週末、船に乗らない?」
夜、音楽が流れる船。
グラスの中の琥珀が揺れて、
風がスカートを揺らす。
「先輩って凄いですよね、
一人で全部回してしまう」
彼女の声が、波の音に混じった。
見てくれていたんだと思った。
手を伸ばしかけて――ふと気づく。
彼女の指に、絆創膏。
「熱いコーヒーこぼしちゃって」
その笑顔は、どこか嘘くさかった。
そして、彼女は言った。
「最近、**グール(喰種)**の事件が増えてるらしいですよ」
血の匂いはしないのに、
どこか遠くで警報が鳴った気がした。
船が港に着く頃、
彼女はふと思い出したようにポケットを探り、
僕の手に小さな物を置いた。
「たばこ吸わないかもだけど、これ。
道で貰ったの。先輩に似合いそう」
銀色のライター。
月明かりを跳ね返す冷たい光。
そのとき確かに、風向きが変わった。
翌朝、会社は静かだった。
彼女はデスクで微笑んでいた。
絆創膏は……もうなかった。
僕の胸がざわつく。
違和感という名の声が、内側で叫んでいた。
静かに、アタッシュケースを確認。
そこにはいつも通り、小型レールガンが眠っている。
起動キーを押す。
低い振動とともに、
電磁チャージの音が脳に響く。
エネルギーが溜まるには、少し時間がかかる。
僕は席を立ち、トイレに向かった。
無人の廊下。
張り詰めた空気。
まるで舞台が整っていくような予感。
鏡の前で息を整える。
「……行くか」
ドアを開けた瞬間、
空気が変わっていた。
誰もいない。
物音ひとつしない。
何かが、起きた後の静寂だった。
天井を見上げると、
そこには――
同僚が、血まみれで吊られていた。
赤い滴がカーペットに落ちる。
後ろから、音もなく近づく気配。
「やっぱり、気づいてたんですね」
彼女の声。
もう“彼女”ではなかった。
爛れた肌、異形の眼。
グールの姿で、僕に襲いかかる。
ポケットの中の、銀のライター。
火をつける。
青白い炎が揺れると、
彼女の動きが一瞬止まった。
火は、やはり弱点だった。
僕は一気にアタッシュケースへ駆け、
レールガンを引き抜く。
チャージ完了。
引き金を引くと、
空気が一度、沈黙した。
次の瞬間、閃光とともに
グールの体は粉々に砕け散った。
焦げた匂いの中、
僕は静かに呟いた。
「グール退治を、本職にするしかないか……」
いま、僕は感受性という名の武器を持って生きている。
それは、誰かには“考えすぎ”に映るかもしれない。
けれど、僕にとっては――
未来を読み、危機を察し、
誰よりも早く“撃てる”力だ。
結果なんてものは、
心の奥にある火花から生まれる。
そしてその火花こそが、
僕の自由を、撃ち抜いた。
