*「ニーチェ」が教えてくれたこと
僕はもともと、西洋精神思想史を専攻していました。
「プラトン」にはじまる、観念と理想の世界。
『プラトニック・ラブ』という言葉も、プラトンに由来するものですね。
西洋思想には、目に見える現実を超えた真理や理想を追い求める長い伝統があります。
その後、19世紀には、世界を精神や理性の働きから捉えようとした
『ドイツ観念論』を大成させた「ヘーゲル」という哲学者が登場します。
プラトンとは異なる思想ですが、精神や理性を重視する点では通じ合うものがあります。
こうした思想の伝統に、根本から疑問を投げかけた哲学者がいました。
「ニーチェ」という人です。
彼は、理想や精神ばかりを高く掲げるあまり、
私たちが現実に生きている、この身体を置き去りにしてはいないか、と問いかけました。
人は、頭だけで生きているのではありません。
喜びも、悲しみも、欲望も、苦しみも、
生きるということは、そのすべてを身体とともに経験することです。
ニーチェは、身体を『大いなる理性』と呼びました。
これは、身体が単純に精神の命令に従う道具ではない、ということ。
むしろ、私たちの思考も、感情も、そして価値観さえも、生きた身体の営みと深く結びついている。
喜びや悲しみ、不安や安心。鬱積と解放感。
ここで僕が注目したいのは、私たちの感情と気分の関係です。
感情の動きは、私たちの「気分」を形づくり、日々の生活の感じ方にも深く関わっています。
ニーチェは、そんな身体と精神が切り離せない人間のあり方に、目を向けた。
身体を軽んじてきた従来の価値観に、問いを投げかけたのです。
*自分の身体を、どう見つめていますか。
さて、ここから少し、身近なお話に。
僕自身、鏡に映る自分の姿を見て、ため息をついたことがあります。
若い頃と比べて変わってしまった。
もう少し、こうだったらいいのに。
人には見せたくない。
けれども、考えてみてください。
嬉しい日にも、つらい日にも。誰かを愛した日にも、ひとりで涙を流した夜にも。
あなたの身体は、ずっとあなたと一緒だった。
そう思うと、欠点ばかりに目を向けるのは、ちょっと悲しいことじゃないかなって。
*身体を愛するということ
自分の身体を愛するとは、今の姿を無理に好きになることではありません。
もっと美しくなりたい。
健康でいたい。
若々しくありたい。
そんな願いも、もちろん素敵なこと。
ただ、自分を否定する必要はないはずです。
今の自分を大切にしながら、これからの自分をはぐくむ。
その両方があっていいのだと思います。
そして、もう一つ。
人は、自分の身体を通して、誰かの温もりを感じることができます。
手を握る。
肩にそっと触れる。
安心して、誰かに身を委ねる。
そんな温もりに、気分がほぐれ、世界が少し違って見えたことはありませんか?
心と身体は、決して別々のものではない。
*あなたのままで
若さだけが、美しさなのでしょうか。
完璧な身体だけが、愛される資格になるのでしょうか。
あなたが今日まで生きてきた、その身体には人生が刻まれています。
あなたの身体は、誰かに評価されるためだけにあるわけでもありません。
あなた自身が、この人生を生き、喜びを感じ、幸せになるためにあるのですから。
哲朗






















































































