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写メ日記

全35件中1~10件を表示

霜月の投稿

わたしと渋谷(再掲)

09/16 11:57 更新

霜月と申します。

萬天の日記は半年で削除されてしまうため、過去の日記を再投稿します。

(しつこい‼️)

去年の秋、道玄坂エリアの再開発を憂いて渋谷の思い出を書きました。

はじめに土下座してお詫びします。長文です。
暇な時にお読みくださいませ。

大昔の話なので、死語や今では廃れてしまった生活様式が出てきますが、

テキトーに読み飛ばしてください。

 

 

 



これは遠い遠い昔のお話。

とある中年オジピが、まだ10代だった頃のお話。


198x年。中学生になったばかりの霜月少年は洋楽というものに目覚め、当時隆盛を誇った洋楽系の音楽番組を毎日のように楽しんでいたのでした。折しも時代はMTVの全盛期。最新の曲のPVを観続けているうちに、Billboardのヒットチャートにも詳しくなっていき、洋楽通として学年の中でも一目置かれるほどの存在になっていました。(但しスクールカースト的には中の下、下の上ぐらいでした)

 

聴き初めの頃は、その時ヒットしていた曲を追っかけていた霜月少年でしたが、やがて60年代末〜70年代初めのロックに傾倒していきます。

 

音楽を入手するためにFM番組のエアチェックにも余念を欠かしません。愛読していたFM fanの番組表を早朝から深夜まで蛍光マーカー片手にチェック。めぼしい番組は丸ごと録音して好みの曲だけをピックアップしカセットテープに編集していきます。サンヨーのWカセ大活躍です。僕の持ってた「オシャレなテレコ」は倍速ダビングやオートリバース、頭出しも楽にできたので編集作業も楽しかったなあ

 

余談ですが、当時はFM誌だけで4誌も発行されていました。1番人気があったのは鈴木英人さんのイラストが表紙のFMstation。僕が愛読していたFM fanは少数派でしたが、番組表が見やすくオーディオ情報も充実しており、発行元が共同通信ということもあってか無骨な雰囲気で僕好みでした。FM stationは、今風の言い回しだと、ちょっとチャライ感じなのですよね。あ、ちなみにレコパルと週刊FMを読んでる奴は僕の周りには殆どいませんでしたね。

 

オーディオったって、中学生男子には理解できない事ばかりなのですが、少ない知識を駆使して「ダイナミックレンジが〜」とか「このテープのS/N比は〜」とか友達と集まっては真剣に論じ合っていました。童貞中学生が集まって女体についてあれこれ議論しているのと構図的には変わりありません。

 

 

さて、何故、こんな手間のかかる作業をチマチマやっていたかというと、お小遣いが少なかったからなのですね。

 

当時LPは1枚¥2,000〜2,500しました。廉価版で¥1,500ぐらいで買えるものもありましたが中学生のお小遣いでは、そんなに何枚も変えるわけではありません。その頃はまだ貸しレコード屋もあったのですが、やはり割高であったのでそうしょっちゅう利用する事もできません。あ、ちなみに貸しレコード屋というのは後のレンタルビデオとは違い、ちょっとグレーな商売だったのですよね(著作権的に)友&愛とか黎紅堂とかのチェーン店や個人経営のお店なんかがあって、だいたいどこの駅前にも1〜2店は店を構えていた気がします。

あと自宅からは遠かったのですが、区内で何箇所かミュージックテープの貸し出しをしている図書館があって、あれは重宝しましたね。片道5キロぐらいの距離をママチャリ漕いで通っていたものでした。

 

そんなわけで、お小遣いの少なかった霜月少年にとって音楽を手元に残すためには、FMのエアチェックは欠かせなかったのです。

 

やがて音楽通の友達のお兄さんから、この世には輸入レコード屋というものがあり、そこへ行けば国内版と同じものが1000円くらい安く買えるという、夢のような話を聞きました。

 

 

そのお店の名前は「タワーレコード」

 

 

ああ聞いたことある。ミュージシャンのインタビュー記事なんかでよく出てくるお店だ。僕の胸は高鳴り、次の休日には必ず行こうと決めました。

(ちなみに当時のタワーレコードは渋谷の宇田川町にありました。東急ハンズの近く、谷底に当たる道沿いのビルの2階で、現在サイゼリアがある場所です)

 

 

さて、地図を広げてタワーレコードの位置を確認すると、僕はあることに気がつきました。

 

 

 

ここ、代々木八幡駅から歩けるなあ💡

 

 

僕の故郷の霜月星は小田急沿線にあります。渋谷に行くには下北沢で井の頭線に乗り換えるのがセオリーですが、私鉄を2社跨ぐと初乗り料金の分、料金が少し割高になります。代々木八幡で降りれば安く行けるし、帰りは定期券もあるし…。という事で代々木八幡駅を目指しました。往復にして数100円しか得にならないのですが、それでも貧民学生の霜月少年は満足感が大きかったのでした

 

 

さて、いよいよ次の日曜日。代々木八幡駅を下車し、暗渠と思しき細い緑道をテクテク歩いてタワーレコードを目指します。道の真ん中に遊具があったりして、大勢の子どもたちが嬌声を上げて遊んでいます。僕の気持ちもつられて盛り上がります。

(Google mapを見てみましたが、この道は今は無いかもしれません…)

 

 

 

井の頭通りを渋谷方面に向かい、渋谷ビデオスタジオが見えてきたら、そこはもう宇田川町の入り口。ここまできたらタワーレコードはもう…あ、あった❣️お馴染みの黄色地に赤い文字が見えましたここがタワーレコードかあ待たせたねえ(誰も待ってねぇよ)

 

 

店内はもう天国でした。たいていのレコードは¥1,290〜1,590ぐらいで購入できました(下二桁が90だったのは今でも覚えています。ビバ円高❣️)これだけ安いのなら、紙質が悪かろうが歌詞カードが無かろうが問題ありません。交通費を掛けて来る価値は充分にあります

 

 

店内をぐるりと回り、写真でしか見たことのなかった憧れのミュージシャンのアルバジャケットを何枚も手に取ってウットリ眺めました。至福の時でした。エロ本眺めている時と同じ表情をしていたと思います。

 

 

結局、初めて買った輸入版は、何故か当時知ったばかりの5th dimensionのベスト盤でした。ロックでもないじゃん。好きなアーティストの楽曲は、エアチェックのおかげであらかた手に入れてたのかな。

 

 

 

さてこうして時々タワーレコードに出掛けていた僕にも、やがて一緒にデートしてくれる女子が現れました。待ち合わせは勿論、代々木八幡駅。よく文句言われなかったなあ😅僕のような男子に同行してくれる子は、心が広くて寛容な子が多かったのです。(霜月ガールズの皆さんと一緒です❤️)僕はタワーレコード以外にもレコファンやシスコ、disk union等のレコード屋さんを張り切って案内しました。レコファンの螺旋階段、懐かしいなあ

 

レコード屋を回った後は、今度は女の子のターン。その子が好きそうな雑貨屋さんを回ります。よく行ったのは、仲屋むげん堂、チチカカ、宇宙百貨。ぜーんぶ宇田川町の一角。

ね!代々木八幡駅待ち合わせでも全然問題ないでしょ

 

 

 

宇宙百貨の2階に小っちゃなギャラリーがあって、新人の作家さんのイラスト展なんかをよく見たなあ。あと同じ建物だったか、有名なピアス屋さんがあって、店の奥にブートのカセットテープがたくさんあって、60年代後半のソフトマシーンとかキングクリムンの隠し録りテープを買ったことあったなあ。何もかもが懐かしい。

さてさて、僕たちは健全なカップルでしたが、そこは好奇心旺盛なお年頃、やがて2人の足は自然と円山町へと向かいます。急坂を登ると右も左もラブホだらけ。そんな中、僕たちが目指していたのは、

 

 

 

そう、勿論!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

名曲喫茶「ライオン」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ライオン」は、素晴らしいオーディオでクラシック音楽を楽しむお店ですから、静かに行儀良くしなくてはなりません。が、店内に入るとお互いに耳元でギャグを囁き、笑わせにかかります。笑っちゃいけないとなると、余計に笑いが込み上げてきますね😄ライオンは築年数古いから、通路を歩いていると建物が傾いている気がするんですよね。小声で「この店、傾いてる」って話しただけで2人とも大爆笑寸前。笑いを噛み殺すのに必死でした。

クラシック音楽を楽しんだ記憶はあまりないのですが、暑い日に並んで食べたアイスクリームは美味しかったなあ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さてさて健全な2人は、帰りも仲良く代々木八幡駅に向かいます。

 

 

 

西陽が眩しく2人を照らします。

 

 

手ぐらいは繋いで歩いたのかな。

 

 

 

 

その後タワーレコードは渋谷駅近くのJR沿いに引越し立派なビルとなって営業をはじめました。輸入レコード専門店などではなく、国内最大級の音楽ショップと生まれ変わったことは言うまでもありません。

 

 

 

音楽を楽しむ環境は一変し、渋谷の街も変わり果てました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕とデートしてくれた女の子たちはどうしているだろう。

 

 

 

今でもボ・ガンボスやフィッシュマンズを聴いているのかな?

 

 

 

今でも部屋でお香を焚いてるのかな?

 

 

 

 

最後まだ読んでくださりありがとうございます。

心よりお詫びいたします🙇

巨星墜つ

09/15 10:42 更新

官能小説界の大家、宇能鴻一郎大先生を偲んで、

どなたか僕の口コミを宇能鴻一郎文体で書いていただきたい。

 

『あたし、とっても、ビンカンな女なんです。だから、すぐに、気づいちゃったんです。いやだ、このセラピさんったら、お茶用意していないなって。

途端に、あたしの気持ちは、イラッ、として、身体は、モヤッ、としちゃったんです。』

 

全編こんな感じでお願いします😄

 

もしも宇能鴻一郎文体で口コミを書いてくださったなら、

返信は川上宗薫文体で受けて立ちますよ💪

(どんなだっけ?)

多くない?

09/13 22:30 更新

嬉しいけどさ。

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縦読み短歌を作ってみました。

09/09 22:25 更新

霜月と申します。

 

イベントを記念して、かなり無理矢理な縦読み短歌を作ってみました。

 

 

焼き芋を

つまんでほおばる

長身で

痩せてるあの娘の

笑顔に釘付け

 

 

ということで、やっちゃえMANTEN開催です。

今回は本指名のお客様限定イベントです。

馴染みのセラピストさんと、お得に遊んでくださいませ!

 

 

イベント期間中であっても、もちろん新規のお客様も大歓迎でございます‼️

最近は新規のお客様向けのイベントが続きましたが、ご新規様向けイベント期間中は、本指名利用は控えた方が良いのでは?と、お悩みの萬天レディースの方が何人かいらっしゃいました。自分の予約枠はご新規様のために空けといた方が良いのかなあと、他のお客様のことにまで配慮してくださっていたのです。なんと奥ゆかしい😭

もちろん心配御無用でして、新規だろうと本指名だろうと、皆様お好きなタイミングで、お好きなコースで、ご利用してくださって構いません。

何の遠慮もいりませんからね😊

 

ではでは、皆様のお越しを、セラピスト一同首を長くしてお待ちしております!

 

 

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祝200回🎉

09/07 10:20 更新

霜月と申します

2021年の入店以来、細々とセラピスト活動を続けて参りましたが、

先日とうとう通算200回目のご予約を頂きました。

名球会に入れるかな?

今まで僕を選んでくださった霜月ガールズの皆様、どうもありがとうございます😭

今のペースだと来年春には300回目も達成できるかな?

もちろん回数よりも質的な部分を向上させていかねばなりません。

 

ちなみに、いらない情報もしれませんが、

200回の内訳は

 

東京🗼90回

横浜🚢47回

千葉🥜24回

つくば🚀11回

大宮🚄7回

水戸🔩6回

柏⚽️6回

宇都宮🥟5回

立川🚝2回

高崎🍝1回

湘南🏄1回

 

となっております。

今後はすべての店舗でリピーター様を作れるようにしたいです。

あと立川店は丸2年行っていないので、久々に行きたいなあ😊

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かつてはスーツ姿をパネルに使っていた時期があったのでした。

なんか変。

知ってる人は挙手!

09/04 22:36 更新

懐かしのNHK時計。

皆さんはどちらがお好きでしょうか?

ちなみに僕は木目調の方かな😊

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男の子って

09/03 14:14 更新

こういうのが好きなんでしょ?

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霜月の本棚から

08/21 20:55 更新

よく古書店の片隅で数百円で売られている古雑誌に、僕は目がありません😍

主に1960〜70年代を中心に、様々なジャンルの古雑誌を蒐集しているのですが、安いので調子に乗って買っているうちに、いつの間にか数百冊を超えてしまって、ものすごく途方に暮れています。

本来なら断捨離に励まないとならないお年頃なのですが、残念ながらそんな気持ちは一向に湧きませんね😅

 

写真はヤングレディ(講談社)1970年10月19日号。昔の雑誌の見出しや惹句は、今よりも少々キッツい感じがしますね。記事に興味がそそられる😃

 

古雑誌は、ファッション、言葉遣い、広告など、当時の世相が丸ごとパッケージされている感じがして、読んでいてほんと楽しい😆

 

 

 

 

 

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この号には、先日惜しまれて閉店したABABが、ちょうどオープンしたとの記事もありました😳

店員さんのユニフォーム、オシャレだなあ😍

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胃腸薬の広告、アドちゃんのイラストだ♪

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オリンピックに思う

08/07 19:40 更新

もしも投げやりって競技があったなら、

僕も結構いい線いけそうな気がするんだ。

祖母から聞いた話

08/06 18:06 更新

太平洋戦争末期、僕の祖母(当時28歳)は、まだ幼子だった僕の父と叔父を連れて、東京から祖父の生家がある広島県東部の小さな町へと疎開した。その頃祖父は二度目の出征のため大陸に渡っており、長らく家を留守にしていた。幼子二人を抱えての長旅は苦難の連続であったそうだ。鈍行列車を何度も乗り継ぎ、一路西へと向かうが、旅も終盤に入った頃、米子で大きな空襲に遭い、乗っていた列車は運行打ち切りになった。

一行は知らない街に放り出された。

泊まる場所を求めて民家をいくつか訪ねるも、非常時に行きずりの旅人を泊める余裕などあるはずもなく、時には罵声を浴びながら追い返されたという。

這う這うの体で祖父の生家へ到着したものの、当初は、あまり歓迎はされなかったようだ。時期が時期だけに、いくら長男の嫁とはいえ、子連れで帰ってこられては厄介に思われるのも無理もない。

 

そして程なくして8月6日を迎える。

 

祖父の故郷は広島市からは遠く遠く離れた山奥にあり、割と普段通りの生活が営まれていたらしい。同じ広島県内ではあるが、新型爆弾が投下されたことを知ったのは翌日の夜のことだったそうだ。

 

終戦後、洋裁が得意だった祖母は、近所の人たちを集めてちょっとした教室を開き、代わりに食料を分けて貰っていた。田舎の方では、当時はまだ洋裁が珍しかったらしく、祖母の教室は評判を呼び、地元の人とも仲良くなれたようだった。

洋裁に用いる生地は、各自が用意することになっていたらしいが、とても服生地とは呼べないようなボロを持ってくる人が多く、東京の暮らししか知らない祖母は、軽いカルチャーギャップを覚えたようだった。

 

祖母は、想像もつかないほどの辛い経験をしてきたはずなのだが、いつも笑い話のようにユーモアを交えながら、戦争体験を語ってくれた。何事にもクヨクヨする事なく、いつも大らかな人柄であった。祖母は小学生の頃に関東大震災を経験しており、その事も人生観に影響を与えたのだろうか。

 

祖母の体験してきたことと比べたら、自分の悩み事なんて、いかに小さいことか。

 

歴史は地続きとはよく言ったもので、先人の方々の苦労があってこそ、今、平和を享受できていると痛感する。

 

真夏は特にそう思う。

 

 

 

 

 

あ、ちなみに都内なら今すぐOKですので御予約お待ちしてます♪

 

 

 

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