僕はその日も、
誰かの望む役を演じていた。
職場に評価されるために、
必要と言われた国家資格を
いくつも、いくつも集めた。
気づけば、それだけが
僕の価値のようになっていた。
今日も人が足りないからと
休日の静けさを切り売りして、
都内のいつものビルへ向かう。
そのそばにある、
古びた小さな劇場──
いつも閉じていて、
でもなぜか、ずっと気になっていた場所。
いつか行こう、そう思いながら
僕はその日も通り過ぎた。
作業着に染みついた薬品の匂い。
無数の細かい傷が、何も語らずまとわりつく。
電気室での作業中、
ほんの一瞬、端子に触れた。
火花。
強烈な閃光。
世界が、一瞬で白くなった。
気づくとビルは静まり返っていて、
外に出ると、あの劇場の扉が開いていた。
そして──
中から、僕にそっくりな何かが出てきた。
「今すぐ決めろ」
空から声が落ちてくる。
「そいつを倒さなければ、お前が死ぬ。
夜明けまでに仕留めなければ、
その首の爆弾が爆発し、
この世界は我々のものになる」
首元には見慣れない重み。
触れると、ひんやりとした金属の感触があった。
目の前に現れる、剣と盾。
無表情の“僕”が、
何のためらいもなくそれを手に取る。
僕もまた、手に取るしかなかった。
──同じ顔、同じ肉体、同じ力。
なのに、どうしてこんなにも違う。
クローンの剣が僕の脇腹を裂く。
浅い傷のはずなのに、
血が止まらない。
痛みよりも、
自分自身に負けていくような感覚が怖かった。
僕は逃げた。
ただ、逃げた。
いつの間にか夜が明けかけていた。
あと少しで、爆発する。
この世界も、僕も、全部──消える。
その時だった。
遠くで誰かが囁いた。
いや、たぶん心の奥の声だった。
「偽りを、やめろ」
僕は、盾を捨てた。
両手で、剣を握った。
クローンはそれを見て、
ゆっくりと笑った──“演じられた”笑顔で。
僕は走った。
剣を、まっすぐ、盾の中心へ。
その奥にある“何か”へ。
一撃で、貫いた。
意識が戻ると、
携帯が鳴っていた。
会社からの電話だった。
「作業は終わったか?」
「……終わりました。」
(……演じるのは)
帰り道、劇場に目をやると
“本日で閉館”の貼り紙が揺れていた。
あの日から僕は、
安心という盾を
静かに地面に置いた。
代わりに、
両手で剣を握っている。
傷ついても、震えても、
偽りじゃない声で生きていくために。
あの劇場は、
ずっと僕の中にあった。
閉じたままの自分を
何度も通り過ぎていたんだ。
その扉を、ようやく、
自分の手で──壊せた。