子供の頃
公園の池には噴水があった
その水面の下にはいろんな魚が泳いでいた
本当は入ってはいけなかったけれど
僕は池の中に入って魚を捕まえた
川に返してあげようと思ったのだ
――魚を救いたいと思った
大人に見つかり怒られた
魚は池に戻された
池の中と外の川
どちらが幸せだったんだろう
――時が流れ 僕は会社員になった
オフィスの蛍光灯の下
毎日のように上司と顧客と戦う資料を作り続けた
成果を出せば 自分も仲間も救えると思っていた
作った資料には心の温度はなく
体裁だけを整えた優等生のようなものだった
僕はただ 戦うために動く人になっていた
――実は僕には
もう一つの顔があった
壊れた“記憶”を修理する技師――
ドリーム・リペアラー
事件や事故で過去の記憶を失った人の意識に入り込み
記憶を修復し 真相を究明して事件を解決していく仕事だ
修復のためには
ヘルメット型の装置を頭に装着し
僕と対象者をコードで繋ぐ
意識を接続した瞬間
僕は相手の心の奥 深い仮想空間へとダイブする
その世界には必ず“魔物”が潜んでいる
それは記憶を壊している存在
僕はいつも その魔物と戦ってきた
勝てば修復は成功する
負ければ 自分の感情を少しずつ失っていく
そして最悪の場合――
仮想空間の深層に囚われて 自分の存在ごと消えてしまう危険な仕組みだ
それでもこの仕事を選んだのは
人の痛みを癒し 真実を取り戻すことで
自分も救われると信じていたからだ
――ある夜 ニュースが流れた
トンネルで列車事故
助かったのは一人の少女
他の乗客は全員 生き埋め状態のようだった
その時 スマホが震えた
修復依頼 対象は――その少女だった
列車事故の衝撃で 記憶を失っていた
意識の深層で “自分の存在” を閉ざしていた
僕はヘルメットを装着し
コードを繋ぐ
電流が走り 視界が暗転する
次の瞬間
僕はトンネルの中に立っていた
焦げた鉄の匂いが鼻を刺す
ひしゃげた車体の間を縫うように 奥へと進む
――その時だった
空気が揺れた
冷たい風が背筋を撫でる
闇の奥で “何か” が蠢いた
黒い影が ゆっくりと形を変えながら
こちらを見ていた
時間が止まったように感じた
鼓動の音が 自分の中で爆ぜる
視界が震える
次の瞬間――
轟音とともに 魔物が飛びかかってきた
僕は反射的にエネルギーガンを構える
素早い動きを見切りながら
エネルギー弾を放つ
閃光が弾け トンネルが白く焼ける
力は拮抗していた
互いの攻撃が空気を切り裂き
僕の体力だけが 消耗していく
轟音が響き渡る
魔物の咆哮がトンネル全体を震わせる
その腕が空気を裂き 僕の頬を掠めた
――速い
一瞬の隙を突いて 僕は地を蹴る
閃光を纏ったエネルギー弾を放つ
炸裂音と共に爆風が起き
熱風が肌を焼く
魔物の身体がねじれ
黒い霧を撒き散らしながら
半分が吹き飛んだ
焦げた破片が宙を舞う
トンネルの壁に衝撃が反響する
視界が白と黒に塗り潰される
その瞬間――
空中に文字が浮かぶ
〈修復不能〉
光が揺らめく
再生を始めた魔物の身体が
ゆっくりと形を取り戻していく
「なぜだ!」
僕は叫んだ
その輪郭に
どこか見覚えがあった
光が差し込み
仮想空間の奥で
魔物の顔がはっきりと見えた
――それは僕自身だった
僕はすべての記憶を思い出した
列車事故に遭い
トンネルに閉じ込められていたのは僕だった
食料も尽き
瓦礫の前で力尽きて横たわっていた
崩れ落ちた天井から
微かな光が差し込んでいた
助けを呼ぶ声も出なくなり
やがて静寂だけが残った
その時――
外から瓦礫を崩す音が聞こえた
レスキュー隊の声だった
伸ばされた手が見えた瞬間
僕の意識は途切れた
――魔物が再び咆哮を上げる
その時 少女の声が聞こえた
「やめて 戦わないで」
世界が真っ白に光る
少女の記憶が流れ込む
僕は思い出した
瓦礫の中で 力尽きる寸前に
ポケットの中から免許証を取り出した
震える手で丸を付けた
「臓器提供をする」――そして書いた
『少女にあげて』と
隣には 同じく瓦礫の前で助けを待っていた少女が横たわっていた
僕は死を覚悟して
列車事故で一緒に閉じ込められたその少女に
自分の臓器を提供することにしたのだった
少女と僕はレスキュー隊に助け出され
少女は意識を取り戻し
僕は昏睡状態になった
彼女は 僕を助けるために
ドリーム・リペアラーになったのだ
――魔物が僕に向かって襲ってくる
僕は両手を広げ その攻撃を受け止めた
“自分の痛みを 自分で受けるように”
衝撃が身体を突き抜ける
心の奥で 何かが軋んだ
その瞬間
自分を守るために築いた「偽りの優しさ」や「正しさ」が
魔物の一撃で崩れ落ちた
砕け散る光の中で
ほんとうの“僕”が ゆっくりと顔を出した
空中に浮かぶ文字――
〈修復完了〉
視界が静かに滲む
光がゆっくり遠ざかっていく
――僕は薄く目を開けた
白い天井
機械の音
点滴が腕を伝っていた
隣のベッドで少女が眠っていた
その表情はまるで夢を見ているように穏やかだった
朝の光が差し込み
僕は静かに息を吸った
救うことが自分を削ることだった日々
けれど今は違う
“救うこと”は“共に生きる”ということだ
あの日 池の魚を川に戻そうとしたように
誰かを想う優しさは 時に間違えるけれど
その想いがある限り 僕はきっと前へ進める
白い光の中で
僕は微笑んだ
終わりではなく 始まりとして
