みなさまこんばんは
生きること おつかれさまです
岡山萬天堂の葉です
良いセラピストとはどんなセラピストなのか?
前置きとして、女性用風俗というジャンルは歴史は浅いのかもしれないけれど、もはや流行りとかではなくニュースタンダードなものとしてこの先も在り続けるんだと思う。
新しいジャンルって、ムーブメントによってある種の方向性が導き出されたり、ブームみたいに一過性なものとして時代背景によって流行ったり廃れたり、リバイバルしながら繰り返すモノだってある。
そんななかで、すでに市民権を得つつあるこの業界がどうなっていくのかは、今現在セラピストの端くれとして活動している僕にとって、とても興味深いものだと思う。
本題にすすむと、じゃあそのニュースタンダードになった女風業界において、良いセラピストと悪いセラピストが存在してしまうことも必然で、界隈では様々な問題が発生しているようで心がとても痛む。
良いセラピストってどんなセラピスト?
容姿、声、技術、話術、細々と数え出したらキリがない様々な要因は総じてそれぞれが正解なんだろう。それを求めるお客様がいる限り良いセラピストとして認知されやすいのは、とっかかりとしては正解。という意味で。
ただ僕が考えるのは、人対人としての仕事はどこまでいっても最後は内面、心にでるものだと信じたいし、記憶に残る人でありたいと思う。
前述の要因なんて、セラピストの数が増えれば相対的に増えてくる。イケメンなんてそこらじゅうにいるだろうし、技術等は経験や研修で成長する部分もある。もちろんどこまでを追求していくかは当人たちの意識によるだろうけど。
心。
それはそう易々と変わるものじゃない。
性善説と性悪説って考え方があるように、どちらも善へ向かって頑張ることには変わりないけど、やっぱり心の置きどころみたいなものは人の本質に関わる気がする。
それはふとした時に本性として現れるんじゃないか?
僕はスタートが善として、善を目指していきたい。
記憶。
記憶に残るセラピスト。
明日思い出してもらえる事。
1週間後、1ヶ月後、1年後に思い出してもらえる事。
大切なのは、『いい時間だった』という記憶。
指名され続けることは必ずしも良いセラピストの答えではないと思うことがある。それが有難いのはセラピスト側の主観であって、お客様にとって必要だからこそ指名されるという事を忘れてはいけない。娯楽としての利用であればなんの問題もないけれど、なにか抱えるものがあってそれの回復を目指すなら、病気が治って退院するのと同じように、前向きに女風が必要なくなる事だってあるはずで、それを引き留めることはセラピストのエゴなんだと思う。
生きていると様々な事で感情が振り回されるでしょう。
いろいろな、本当にいろいろな動機でご利用頂く未来には、ずっと女風を利用する事も、女風を卒業して綺麗な思い出のまま日頃の生活に戻る事だってあるんだと、それは誰でもない、あなた自身が決める事であってほしい。
決められないのなら相談してくれたらいい。いつだって僕は対話をします。
こんなことを書いていながら良いセラピストとはなにか?そこに自分は達せられるのか?まだまだわからないけれど、嫌な人間にはなりたくない。大きな波にのまれて自分を損ないたくはない。それだけは胸に誓って、目の前のお客様へなにができるのかを考えていきたい。
お客様にとって、趣味娯楽でも心のスキマを埋めるパズルのピースでも、きっかけも理由もなんでもいい。
ただ僕を必要とするあなたへ、できることを考え続けるのがきっと良いセラピストへ向かう道なのだと思う。
『遠きに行くには必ず邇きよりす』
おしまい