戦時中は日本軍の軍事施設
その後はアメリカ軍の射爆撃場として使われた場所
地域住民が平和を願い笑顔と自然の溢れる場所に変わりました
夏はひまわりやコキア、春にはネモフィラなど四季折々の草花が楽しめる場所
それが茨城県にある「国営ひたち海浜公園」
遊んだり旅行に行く場所の歴史を知るとより深く楽しめますよね(^^)

家でやらなきゃいけないことがたくさんあるので朝までがんばります!
全583件中71~80件を表示
08/20 02:26 更新
戦時中は日本軍の軍事施設
その後はアメリカ軍の射爆撃場として使われた場所
地域住民が平和を願い笑顔と自然の溢れる場所に変わりました
夏はひまわりやコキア、春にはネモフィラなど四季折々の草花が楽しめる場所
それが茨城県にある「国営ひたち海浜公園」
遊んだり旅行に行く場所の歴史を知るとより深く楽しめますよね(^^)
家でやらなきゃいけないことがたくさんあるので朝までがんばります!
08/20 00:02 更新
8/20にてデビューして早い事に二ヶ月経ちます🙇
私自身こんな自分に必要とされるお客様に感謝しかありません💦
嬉しい事に口コミもいつの間にか20件💦🥹
皆様からありがとうのお声を頂いて本当感謝です🙇
これからも皆様のお役にお立て出来る様
初心の気持ち、自分のスタンスなど
これからも精進して参ります🙇
どうぞ白夜をよろしくお願いします😊
08/19 11:19 更新
世界の皆さん、こんにちは🌎
2004年の今日、1970年に起きた「よど号ハイジャック事件」の犯人の一部が、日本に引き渡されました。
それは、事件からじつに34年が経ったあとのことでした。
よど号事件は、日本赤軍のメンバー9人が日本航空機を乗っ取り、北朝鮮に向かって亡命した衝撃的な出来事です。
彼らは当時、革命思想のもとで行動していたとされますが、その手段がどれほど多くの人の命と心を危険にさらしたかは、想像に難くありません。
2004年の引き渡しで帰国したのは、北朝鮮での生活に長年区切りをつけたかったという元メンバーたち。
「過去と向き合いたい」と語ったその姿に、人は本当に変われるのかという問いが浮かびました。
罪を償うことと、赦すこと。
そのどちらにも、明快な答えはありません。
でも、過去をなかったことにするのではなく、たとえ痛みをともなっても、「見つめ直す」という姿勢は大切なのだと思います。
あの日から今日まで、誰かの中に残り続けた記憶は、きっと今も息をしている。
僕は、遠い国や時代の話であっても、知らなかったふりはしないでいたい。
知ることで生まれる感情は、少しずつでも世界の見え方を変えてくれる気がします。
世界
08/19 00:36 更新
お盆休みが終わり
仕事が始まった人も多いと思います!
暑いので無理せず頑張りましょうね!
自分と周りの人の心と体を大切に^ ^
08/18 09:52 更新
ふと思い出し。 写真は中国の大連から鞍山(アンシャン)まで仕事で行った時のです。高速鉄道の移動にしたのですが椅子回りは新幹線で妙に安心感が。トイレのドアは何故か円形。200㎞程度の移動でしたが300㎞で走るので45分ぐらいでしたでしょうか。乗り心地は全く揺れない。本当にスーっと。走行してるの?という感じでした。 ここのところは日本の新幹線の線路がアッダウンとカーブが多すぎたり右に左に揺れるし。。。諦めてゆっくり走るか改善しなきゃ。と思ってしまいました。 鞍山は一番寒いときでしたので大連が0度付近で出発でしたが鞍山は氷点下25度。海に守られて気温って安定してるんだと実感。日本は住みやすいです😌
08/18 08:47 更新
世界の皆さん、こんにちは🌎
1864年の今日、京都で「禁門の変」が起こりました。
長州藩が幕府に対して武力行動を起こしたこの事件は、やがて明治維新へと向かう動乱のひとつとして歴史に刻まれています。
舞台は京都御所の西、蛤御門。
尊王攘夷の理想を掲げる長州藩は、追放された自藩の復権をめざして挙兵。
それに対して幕府軍と薩摩藩が迎え撃ち、市街戦へと発展しました。
結果、京都の町には大火が起こり、御所から堀川あたりまで焼け野原になったといいます。
僕はこの出来事に、ひとつの時代が終わる直前の、ぎりぎりの焦燥感のようなものを感じます。
理想と現実、志と策謀。
当時の人々は、それぞれの正しさを信じていたのでしょう。
けれど、信じるだけではどうにもならない現実があり、それでも引けない何かがあったのかもしれません。
禁門の変は、結果として長州藩にとって敗北となりましたが、
この敗北がやがて彼らを結束させ、薩摩との同盟や倒幕へとつながっていきます。
争いのなかにさえ、次の時代を準備する力が潜んでいることを思い知らされます。
今を生きる僕たちは、できることなら争わずに時代を変えていきたい。
でも、もしものときに何を守るか、何を選ぶか。
そんな問いが、歴史の節目には静かに置かれている気がします。
世界
08/18 02:38 更新
一目惚れして買った花
家に飾ろうかな(^^)
08/17 21:33 更新
近所にいるよく挨拶するおばあちゃんに高いところに虫コナーズをつけて欲しいと言われつけたらパセリをもらいました!
賢人です!
そのパセリを使ったビーフシチュー!
賢人特製「ゴロゴロお肉のビーフシチュー〜近所のおばあちゃんにもらったパセリを添えて〜」
08/17 13:07 更新
2日間鹿児島出勤もありがとうございました🙇
たくさんDMも頂き、問い合わせもたくさん本当感謝致しております💕
リピーター様にも本当可愛いがって頂きありがたいです🙏
お陰様で初イベント参戦も、ほぼ予約満了をいただき
私は大変びっくりしております💦💕🙇
皆様お別れの祭は必ず笑顔で帰って頂く事がなりより自分は嬉しいし、寂しいもたくさんあります🥹
その中でもたくさんお方からリピートもして頂いて、
本当感謝です🙇💕
自分の人柄を選んで頂いた皆様本当感謝致しております🙇
本日も出勤ありがとうございます💕
たくさんのお方が笑顔になって頂く事
日々心がけてこれからも努めて参ります🙇
白夜
08/17 09:39 更新
世界の皆さん、こんにちは🌎
1915年の今日、全国中等学校優勝野球大会──現在の「夏の甲子園」の前身となる大会が始まりました。
会場はまだ甲子園球場ではなく、大阪の豊中球場。
参加校はわずか10校だったそうです。
それでも、この大会はたしかに「夏の風物詩」の芽を育て始めていたのだと思います。
ユニフォームに汗がにじむほどの猛暑、土を握る手の震え、全力で走る姿。
そこには勝ち負けを超えた、ひたむきさがあるように感じます。
僕はときどき、「なぜこれほどまでに高校野球が多くの人の心を動かすのだろう」と思うことがあります。
それはきっと、誰かが人生のある一瞬をすべて注ぎ込んでいる姿を見るからなんでしょうね。
技術よりも、作戦よりも、最後に残るのは心の持ち方なんだと、野球は教えてくれている気がします。
グラウンドの外にも、それぞれの物語があります。
控え選手、マネージャー、応援する人たち、そして地方の学校からやってきた選手たち。
ひと夏にかける想いの数だけ、ドラマがあるのだと思うと、甲子園は「舞台」なのだと感じます。
100年以上の時を経ても、あの砂埃まじりの白球は、今も誰かの未来を照らしているのかもしれません。
僕も、自分の小さな一球を、大切に投げていきたいです。
世界
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